働きたくないあなたにおくる ニートレズビアンの生態記録

なぜニートなのに普通に生きていけるのか。そしてニートレズビアンの人生とは

第五話 ニートになるまで

高校卒業してからはとりあえずフリーターとして、ラーメン屋で働いたり居酒屋?なのかなとりあえず飲食店で働いて過ごしていました。

ラーメン屋は大きなお店の中のテナントだったのでいろんな人と仲良くなれて閉店してから毎日喋って帰っていて楽しかったです。

 

居酒屋で働いている時は、夕方から朝まで働いたあとスプラトゥーンをSwitchの充電がなくなるまでやってから帰っていました。

その時間はすごく楽しかったのですが、とんでもなくブラックで心身ともに疲れ果てて日常生活に支障が出始めたのでやめました。と言うか店長と揉めて「じゃあ明日から行きません!」って半分飛んだようなもんです。笑

シフトに大穴開けてほんとに申し訳なかったなあ。

 

ニートになる前最後に働いていたのはMIXバーです。

MIXバーってご存知ですか?

 

LGBTと呼ばれるセクシャルマイノリティの方々が働いているバーのことなんですけども。

お店によって結構いろいろあって、ガールズバーみたいにカウンター越しで接客するタイプやキャバクラみたいに隣に座るタイプの店、両方を混ぜたタイプの店など色々あります。

私が働いていたのはカウンターしかないタイプのお店でした。それなりに栄えたところにあったので毎日色々なお客様がいらっしゃってましたね。

 

夜のお仕事だったので完全に昼夜逆転してました。でも休みも取りやすかったので割といろんなところに出かけたりもしていました。

 

MIXバーで働いていた頃のことはまた別にまとめようかなと思います。

 

とりあえずMIXバーをやめてニートになりました。

 

では

第四話 高校時代 私生活編

はいはいどーもニートレズビアンの憂でございます。

 

高校時代私生活編と言うことでね。多分学校生活編よりは書くことがたくさんあるんじゃないかなと思ってます

 

・一年生 初バイト バイクとの出会い 人生に最も影響を与えた人との出会い

・二年生 遊びまくり働きまくり病みまくり

・三年生 病み回復からの新しい活動

 

こんな感じかなー、とりあえずいってみましょう

 

一年生。初バイト。とても人見知りだったのだけど人と話すのは好きで、話せるようになりたいから人見知り克服のために接客業を選んだ。

たこ焼き屋さんで、みんな仲が良くて地域密着型な感じだからラフな接客で良くて。ここで働いてだいぶ人見知りが改善されたと思う。とにかく初めてのことがいっぱいで楽しくて早くバイト行きたいなーって思ってた。今じゃ考えられない。笑

店長が若かったからなのかとにかくみんな仲が良くてみんなでボルタリングに行ったりして。誕生日をサプライズで祝ってもらったりしてすごく嬉しかったなあ。サプライズで祝ってもらった時にバイクの後ろに初めて乗せてもらって。その時に

風を感じるの楽しすぎてヤベー!!ってなって即教習所に申し込み。学校早退とかして二週間で教習所終わらせてバイク買って走り回ってた。笑

田舎すぎて何にもないしバスも30分に一回とかですごい不便だったから自分が行きたいところに好きな時に行けるってめちゃくちゃ楽しかった。

その時乗ってたのはヤマハマグザムって言うビックスクーターで夏休み使ってツートンカラーに塗装したりしたっけなー。

バイクはジモティーで買ったんだけどそのとき売ってくれた人がすごくいい人で、神奈川から千葉まで運転して運んできてくれて、お金もゆっくり払ってくれればいいよって催促もなく長々と払い終わるまで待ってくれて初めてでいい人に当たってよかったなってほんとに思った、その後別の人に詐欺られて余計に。笑

 

バイト先には大学生だけど世界中旅しててカンボシアかどっかに学校建てる活動の代表してる人とかもいて、さらにびっくりしたのがその人のお母さん保育園の時の給食の先生だったの。笑

すごくいい人でいろいろ話してくれていつでも相談してねーって妹みたいって大事にしてもらって。

バイク乗せてくれた人もバイク買ってからいっぱいツーリング行ったりしたし教師目指してる人はいっぱいアドバイスとかくれたり。とにかくいい人に恵まれてたなあと今更実感。

バイト始めた手の時に他店舗の店長さんに「こっちからしたら新人だけどお客さんから見たらみんな同じ店員さんなんだよ」って言われたんだけど、あの言葉はめちゃくちゃ心に刺さったなー、とか。いっぱいいろんな思い出がある。

一年生の時のバイトはそんな感じ。

 

そして人生で最も影響を与えた人との出会い。これだけすごい人ばっかりバイト先にいたのにそれを超えて影響を与えた人は誰か。それは・・

 

元カノ

 

学校生活編でもちょこっと出てきた大阪の元カノ。この人と出会わなければ今の自分はなかったと言い切れるほどに影響があった。

水商売をしている人だったんだけど、正直偏見とか持ってた。でもこの人と付き合っていろんなことを話してもらって、今では立派な仕事だなあと心から思っているしなんて言うか自分の世界?視野?をすごく広げてもらったなと。

 

とりあえず一年生はこんな感じかな

次二年生

二年生になってからはバイト先の人ともより仲良くなっててバイト終わりにめちゃくちゃカラオケ行ってた。笑

もう週3とかいってたんじゃないかな。しかもその時ヤマトのバイト掛け持ちしてたから

午前5時半 ヤマトの仕分けバイト

午前8時半 登校

午後3時半 帰宅

午後5時  たこ焼き屋バイト

午後10時 たこ焼き屋バイト終わり

午後11時 カラオケ

午前3時半 帰宅

 

みたいなのを毎日やってた笑

たまに夕方からヤマトの配達の仕事もしてたけどいろんな人の家見れるから楽しかったな〜笑

働くの楽しくてめちゃくちゃ働いて

とにかく遊んでた。

 

あとは学校生活編にも書いた通り修学旅行後に元カノとデートしたり。毎日電話したりして楽しく過ごしてたんだけど、年末大晦日に別れを告げられ失恋。ゲロ病み。

泣きながら年を越して、年始から鬼のように入っているシフトをこなして。しかもその時はヤマトをやめた代わりに居酒屋と掛け持ちしてたから朝から晩までひたすら働いてたけど考えなくて済むから逆によかったような。でも食欲がなかったからフリスクだけしか食べてなくて1ヶ月で何も運動せずに5キロ痩せた。笑

 

その後たこ焼き屋の店長が変わって合わなくてたこ焼き屋をやめてクレープ屋で働き始めて(粉物大好きかって)

そんな感じであっという間に二年生は終わったかなあ

 

そんな感じで迎えた三年生。高校最後とかはもうどうでも良くてひたすら病んでたけどある日ふと復縁無理だ、自分のこう言うところが悪かった自分じゃ幸せにできないんだ、じゃあ他の人と幸せになって欲しいって思えるようになって吹っ切れて。

それから何か新しいことをしようと思ってTwitterLGBTの人を紹介するアカウントを作ってやり始めて。その後オフ会を開いたりなんかもしてみて。

元カノのおかげで考え方も変わっていろいろやってみようって思ってそう言うふうに行動できたのはほんとに良かったなって。オフ会は未だに続けてて、この間は33人とか集まっていろんな人と話せてすごく楽しかった。

 

高校卒業と同時に居酒屋早めようと思ってたからラーメン屋も掛け持ちし始めたのも確かこの頃だったかな。ラーメン屋も店長が若くてでもすごくしっかりした人で楽しかったな〜

 

でも学校生活は全然楽しくなかったしこの辺から両親が頻繁に揉め始めて揉め事から逃げるようにバイトのシフト入れてたって言うのは内緒のお話。笑

 

とりあえず高校三年間はこんな感じで。また思い出したら書きたそうかな

 

 

では

第三話 高校時代 学校生活編

どうもまたまたこんにちは

ニートレズビアンこと憂でございます。

実は第一話から連続で書いているのでちょっと疲れてきましてアルコールという名のガソリンを摂取し始めているところであります。

 

高校時代。うーん。まあまあ色々ありましたが学校でのことはいい思い出がほとんどないですねぇ。とりあえず書いてみます。

 

・一年生 突然のぼっち  親友との出会い 

・二年生 いい人キャンペーン 修学旅行

・三年生 エブリデイ遅刻

 

あれ・・三年生が一番最近のはずなのにこれといって思い出せない・・笑

多分書いてる間に思い出すと信じて書いていきます

 

 

さて高校一年生、の前になぜあの高校にしたかから書いていこうかなと。

志望理由はとっても単純で家から一番近かったから。です

私潔癖気味なところがあるので満員電車とかほんとに無理なんですよね。そして家から徒歩5分かからない中学校ですら遅刻しまくっていたので遠くなんて行けるかと。基本的に深夜起きているタイプだったので早起きは苦手でした。今もですけど。笑

あともう一つ理由を挙げるならば女子用スラックスが制服にあったんです。ズボンですね、私は男になりたいとかそういうのはないんですけどどうもスカートは苦手で。きちんと制服としてスラックスが用意されてるのはとても助かりました。できることならなるべく先生とは揉めたくないですからね。

 

入学式はそれなりにドキドキしたのを覚えています、なにせ全校生徒300人くらいの学校にいたもんですから6クラスとかって未知の世界でした。やっぱり受験の時会ったよねーとかそんな話をして仲良くなったりなんかして、でも入学式の後は別の学校に行った同じ中学校のこと集まってどんなんだったー?って話をしました。

その時になんと同じ学校の制服を着たレズビアン カップルを発見してしまいまして、どうやら先輩だったんですけど三年間一言も話すことはなかったです。

でも多分あっちも私がレズビアンなの分かってたんでしょうね、ちょいちょい校内でガン見されました。笑

レズビアンてなんとなく雰囲気でわかるんですよ。

 

学校生活にもなれて友達もできて、学校帰りに出かけてプリクラ撮ったりまあまあJKっぽいことをして過ごして最初の半年くらいは過ごしていました。

じゃあ全然ぼっちじゃないじゃん!って思うでしょ?そうなんですよ全然ぼっちじゃなかったんです。あることが起こるまでは

 

きっかけはそうですね、仲の良かった友達の彼氏がバイクの事故で亡くなったこととかですかね、その頃からその友達はグレ初めて万引きとかし始めたんですよ。毎日万引きしてきて万引きしてきたものをクラスのみんなに配ってみたいな。私はそれがすごい嫌で万引きなんでやめてくれって言ったんですけど。その時にその友達は「金使うのがもったいない」って言って、そのくせ毎日カラオケとか行って。もっとちゃんと止めれば良かったんだろうけど自分の中で何かが切れてしまったんですよね。「あー、もうどうでもいいやこんなやつら」ってだからその子達と距離を置くようになり、でもその子達は万引きしたお菓子とかを配り歩いているからクラスの人気者。その子達と距離を置いたら自然と他とも距離ができてしまったんです。

まあ、万引きしているとしっていながら喜んで受け取っていて止めもしない奴らなんてどうでも良かったので全然辛くなかったんですけどね。

とはいえぼっちで昼休み暇なので他クラスにいた中学からの友達のところで昼ごはんを食べていたらそこで親友と出会ったんです。

別のクラスの全然知らない子、突然そのお昼ご飯会に現れて。「なんだこいつ!!」ってびっくりしました。笑

最初は全然話さなかったけど、その時ツムツムがめっちゃ流行っててツムツムのキャラクターにセバスチャンっていうのがいるんですけど、リトルマーメイドのキャラかな。そいつがただの赤いやつで全然セバスチャンじゃなくね?って、ただそれだけのくだらない話で打ち解けて色々話を聞いたらその子もクラスでぼっちだからここにいると。

その後バイト探してるっていうんで私が働いていたたこ焼き屋さんを紹介してめちゃめちゃ仲良くなりました。下手に仲良くなってから女が好きだとカミングアウトして疎遠になってしまうと悲しいので早々に「女の人好きで今彼女がいる」と言ったんですがその友達は『へ〜。え!めっちゃ可愛い!いいね〜』って言っただけで驚きもせず普通に受け入れてくれて嬉しかったです。下手な言葉かけられるよりもこういう方が嬉しいんですよね。

正直一年生の時の時の学校での思い出はこれくらいかな。

 

二年生参りましょう

二年生からは学科が選べる学校だったので情報科に入りました。この時はまだ就職とかする気があったので資格が取れて一番就職、進学率が高いという理由だけで選びました。一応入るのに試験があるので新しいクラスでは多少頭がいい人が集まるのかなって思って二年生になると同時にいい人キャンペーンと勝手に名付けたただみんなに話しかけまくるっていうことをしてました。笑

打ち合わせたわけでもないのに親友も同じことをしてて笑いましたね。

いい人キャンペーンのおかげで友達もできましたし、小学校時代で書いたあのバレンタイン渡した男の子ともなんと同じクラスでした。だから何ってことはないんですけどね。笑

でもやっぱり根暗なので友達とワイワイし続けるのは性に合わなくて、結局お昼は元のメンバーで食べてたしバイトしまくってたので学校帰りに新しい友達と遊びに行くとかも一回もありませんでした。笑

 

あとは修学旅行、行き先は京都大阪神戸。

1日目は土砂降りの中京都の寺?なのかなめっちゃ歩いて寒くて震えながら抹茶をいただいた覚えがあります。そのあと生八ツ橋作りしたけどもうびしょびしょで寒くて大変でした。

宿でドライヤー二台使って靴を乾かしました。

他クラスの友達と広間でトランプとかして、なんか修学旅行っぽいな〜なんて思ってました。

2日目の朝親友ちゃんがいきなり枕元に現れて「あご・・」って言って部屋に戻って行って。笑

めっちゃびっくりしたし面白すぎて目覚めが良かったです。笑

確か2日目はUSJだったはず、当時付き合っていた彼女が大阪の人だったのでUSJに来てもらって修学旅行中にデートしたんですよね、楽しかった。笑

そのあと神戸に移動して神戸牛を食べてホテルに泊まりました。私ホテル大好きなのですごいテンション上がりました。笑

 

3日目は人と防災未来センターっていうところに行って地震のお勉強して大阪に戻ってお昼ご飯食べて新幹線にのって帰るっていうそんな感じでした。

当時の彼女が私が帰る一本前の新幹線で東京に向かっていたので東京駅に帰ってから家に帰らず彼女と合流。一人だけ修学旅行が4泊5日みたいになってました。いい思い出です。笑

 

んー。二年生あとなんだろう、特にない気がする。。

あ、バイクの教習所通ってるのがバレて特別指導にかかりました。笑

それくらいかな。

 

三年生いきましょ

 

う〜ん。ほんとに記憶喪失ですかってくらい特に何もない。

唯一ちゃんと覚えてるのは保健体育の先生とめちゃくちゃもめたことくらい。あれ2年の時だっけ、覚えてないけど書くことないから書く。笑

 

保健体育の一番最初の授業の時に先生がなんの話の流れでだか知らないけど(てかイライラしすぎて覚えてない)

「ゲイとかレズとかそういうのは犯罪だよ、退学だね笑」

って言って、「は?」ってなってね。まあなるよね自分レズだし。笑

そんなこと言う奴の授業なんて受けたくないってなって次の授業から全部サボったら案の定呼び出し。でもあんまり授業サボったりとか高校ではしてなかったから流石に先生も「何か理由があるんだろう?」って聞いてくれて、だから話して。

そしたら保健体育の先生と一回話して欲しいと言われて授業公欠で話合いになったけど何を言ってくるのかと思えばゴタゴタゴタゴタいってきただけで最終的に「結果要約すると同性愛は不健全だと言いたいんですか?」って聞いたんだけどその言葉を発した時にはなんだかわかんないけどめちゃくちゃ泣いてて嗚咽まじりで聞いた覚えがある。

考えてみたら親にはカミングアウトしてないけど友達とかに入っても否定されないで生きてきたから真正面から否定されたのって初めてで辛かったんだと思う。

立ち会ってた先生がすごい顔して走ってティッシュ取りにいってくれたなあ。なんて。ちなみに返ってきた言葉は「そう言うことです」

それを聞いてじゃあもうこちらから話すことはないのでいいですっていったら「授業には出ろ」と。

もちろん拒否したけど運悪く必履修科目だったもんで単位に足りる出席日数だけ出てイヤホンしてずっと寝てましたとさ。

 

あと三年の途中からカツラかぶって登校してた。黒髪の笑

派手髪にハマっててバイト先とかはOKだったから高校にいる時間だけ黒ければいいんじゃんと思ってカツラにしたんだけど体育とかカツラずれるから大変だったなー、あれ絶対バレてたと思うんだけどよく卒業まで乗り切れた。笑

 

ほんとに三年生の頃の思い出って大してなくて、一応資格取ったくらいかな。

ワードの2級とエクセルの1級持ってるけどニートだから使ってないし。

 

あーそうだ。進路系の話。

三年の後半くらいから就職する意味がないと思ってフリーターになりますっていったら資格取ってるのにってめっちゃもめたけど親が娘のしたいようにさせてあげてください自分でお金稼いで生活するならそれでいいんでって後押ししてくれてすごい助かったな

そんな感じで進路未定のまま卒業。

ってこれくらいかな。

 

では

第二話 中学校時代

またまたこんにちは。

ニートレズビアンこと憂でございます。

YouTubeみるのが結構好きなんですが前まで大食いか都市伝説系か演奏してみた系かあとは有名どころしかみてなかったんですけど、最近適当に再生してたらおすすめから出てきた美容系YouTuberのハマって顔面工事を楽しんでおります。そして自撮りが趣味みたいになりました。

自撮りって賛否両論あって自撮りする人は犯罪者になりやすいとか色々言われてるじゃないですか。あとはナルシストとか。犯罪者になりやすいかどうかは分かりませんがナルシルトっていうのはちょっと違う気がするんですよね私は。

なんていうか画面の中の自分は自分じゃないというか。盛れますからね。

 

今度自撮りについても書いてみようかな。

とりあえず自撮りに関してはさておき本題に参りましょうかね。

 

中学校時代。いやーそれなりに色々ありましたね、たった三年間ですけど思い出深いです。参りましょう

 

・一年生 人生唯一の元彼との出会い。レズビアンに気づく

・二年生 最高に意味のわからない時期

・三年生 周りに恵まれていると感動した時期。初海外

 

多分こんな感じ。では

 

一年生。

私の通っていた学校だけ周りとちょっと違って他の小学校から人が入ってこない学校だったんですね、学区が広すぎて。私立のエスカレーターとかではないです。学区がめちゃくちゃ広いから他の小学校の人は他の中学校になるという。だから全校で300人くらいの小さい学校で、メンバーも小学校から持ち上がりで。新しい出会いもクソもないわ、ってな感じで特に緊張もせず迎えた入学式でしたがなんと

転校生いる〜〜〜〜!!!!

いやもうね、テンションブチ上がりでした。私人見知りなんですけどテンションに任せて思いっきり絡みに行きました。笑

その転校生、のちの元彼なんですけども教室の片隅でかちこちに固まってて。笑

そりゃそうですよねー自分以外はみんな小学校から知り合いでって状況で。本人にあの時かちこちだったよね、って言ったら「お腹痛くて動けなかっただけ」なんて強がってましたけど。まあそういうことにしておいてあげましょう。笑

 

私の中学校では入学式名前を呼ばれた後に中学校で頑張りたいことをいうみたいな不思議な儀式がありまして。しかも当日に知らされるんですよ。笑

そんな大した思いもないので「勉強と部活の両立を頑張りたいでーす」ってだいたいみんなが言うようなことを言った覚えがあります。

担任の先生は絵に描いたような熱血教師で、この人に関してはあとでゆっくり書こうかな

 

部活は人数が少ないからそもそもそんなになくて、春休み中に友達の家に遊びに行った時に仲良くなった先輩にソフト部にひたすら勧誘されたんですが朝練とかマジ勘弁なので唯一の文化部だった合唱部に入りました。音楽科の先生がこれまた鬼婆みたいな先生でして、でも小学校ラストに鬼婆はいい人だとインプットされていたのでその先生が大好きで割と真面目に部活動に励んでいました。合唱部とは言っても人数は十数人しかいなくて女子だけでしたね。この部活に入ったのが全ての始まりかもしれません。

最初の頃は《先輩ってとにかく怖い》みたいに思っていたので静かーにして陰キャ演じてたんですけど三年生が引退なさる時にみんなでご飯を食べに行きまして、その時に二年生の先輩方とメアド交換した(と言うかする羽目になった)んです。メアドってめっちゃ懐かしいですね笑

その中で毎日メールしてくるA先輩って人がいて毎日メールしてたら陰キャ演じてるってバレちゃったんですよ。その先輩の弟が私の弟と同じクラスだったって言うのもあって家族ぐるみで仲良くなってしまうと言う。

 

そして時同じくして入学式かちこちだった転校生の彼に告白されました。今でもよく覚えているんですけど「周りカップルブームだから便乗しない?嫌だったら別れていいし」ってなことを言われて当時の馬鹿な自分はまあ嫌いではないしいっか、ってOKしっちゃったんです本当にばか。

そんな感じで付き合ったのにめちゃめちゃ連絡とかしてくるからめんどくさくてわかれよって言ったら

「実は入学式に声かけてくれたのがきっかけでほんとに好きだったんだけど普通に告白しても付き合ってくれないと思ってああいう言い方をしたから俺は本気なんだ」って

いやいやいや。いや。笑

知らねーーよの一言に尽きますよ。そもそも頭使ったなとは思ったけどそんなヘタレ野郎無理だわ!ってな感じでお別れしましたがこの彼にはのちに2回ほど告白されました。一途さだけは評価いたします。笑

 

そしてそのあとレズビアンへのきっかけが起こるんですね。

陰キャじゃないとバレたことで二年生ともだいぶ仲良くなっていた夏の終わりの頃です。二年生のB先輩に「テスト勉強教えるからお家おいでよ〜」って言われて行ったんです。

そしてその時に・・・

アーン///

って

なんていうか、まあ・・襲われたんですね。。笑

なんで抵抗しなかったのかとかよく聞かれるんですけど女の子ってスキンシップでハグとか結構しがちじゃないですか、だからほっぺにチューとかされても

中学生のスキンシップレベル高!!

くらいにしか思ってなくてあれよあれよという間に。抵抗しようかとも思ったけど相手からしたらチューとか拒否されなかったからしてきてるわけだしここにきて拒否するのも申し訳ないな。。男じゃないから竿ないしまあ。。っていうのが正直に思っていたことですね。笑

まあでも訳わかんないことに変わりはないので緊張していたのかなんなのか、気持ち良かったかどうかとかは全く覚えてません。笑

その日帰ってから、女同士ってなんだよって不思議に思って調べた結果LGBTという言葉に出会い、あーなるほどなあ。となった後、てことは自分ももしかしたら女と付き合えるのでは?となりまして見つけたのがあれです

Ameba

覚えてますか?ちょっと前にピグが廃止されたあのAmebaです。Amebaのグルッぽってやつで【百合の花園】っていうレズビアンバイセクシャルの人が集まるコミュニティーがあったんですね。ネーミングセンス・・笑 

そしてそこに入って出会った人と付き合ったんですけどもうどうしよもなく好きになってしまって。これが恋かと。笑

そしてその人とお別れしてくそ病んでる時に最高に意味わからない時期であった二年生が始まるのです。笑

 

ということで二年生。

もう最高に毎日病んでました。同時にB先輩に好き好き言われて、でもこっちは病んでるからそれどころじゃないわってなってたらB先輩が病み始めてリスカし始めODし始め。朝起きたら部屋にいたことなんかもありましたね。それを見て私はさらに病み。笑

その頃周りツイッターが流行り始めて私も登録はしていたんですが癒しを求めてほとんどAmebaに籠ってましたね。あと「こえ部」っていうサイト、今もあるのかな。今でいう「nana」と「ツイキャス」をあわせたみたいなサイトもハマってました。

 

その頃から好きだなーと思うのが女の人だけだったんですけど周りにいい男がいないからだなと思ってバイセクシャルなんだろうと思って過ごしていました。

二年生の時、部活の顧問が変わってその先生ととにかく相性が悪くて今だったら間違いなく体罰になるんだろうなってことをされ部活に行きたくないがために毎日遅刻、と同時に授業もサボったりし始め授業中に校内うろついたり友達と騒いだりお菓子食べたり髪染めたり。昼休みに家に帰ってゲームしてたこともありましたね。クズ。笑

その後顧問と揉めに揉めて退部。学校が終わってから友達と家で遊びまくってました。

あとその頃はちょうど「けいおん!」ってアニメがめちゃくちゃ流行ってて友達とギター練習したりなんかもしました。すぐ飽きて家具と化しましたが。笑

AKBが神7の時代だったり、ボカロもめちゃくちゃ流行っててカラオケとサイゼリアに行きまくってた楽しい時代でした。

総合体育祭っていう市内の中学生が集まってやるやるなんかもあって体育でダンスとかもしました。

 

相変わらずB先輩には悩まされていたり元彼にはまた告白されるし色々悩みはありましたがなんだかんだ楽しく過ごしていたのではないでしょうか。

 

三年生になって、担任が変わり最高学年になり。最後の中学校生活で小学校から一緒の人たちとも最後の一年ってところでまさかの学級崩壊寸前。とにかく仲が悪くて担任は適当で体育祭も文化祭も全然楽しくなかった覚えがあります。校内音楽会なんでほぼ全員歌わなくて、伴奏の子に悪いことしたなあと思っています。

クラスにいるのも嫌なので余計に授業をサボり、サボり友達と色々話したりなんかしていると先生に追いかけ回されたり。笑

 

それからうちの中学校は国際交流というなの交換留学的なやつをやっていて。3泊5日でシンガポールにホームステイしにいけたんですね、人数限られているんですけど。

二年生の時にホームステイの受け入れをしていたので優先的に行けるということで行ってきました。この時受け入れ許可してくれてシンガポールにも行かせてくれた親にはほんとに感謝しています。お金払ってくれたから、というのはもちろんですけどほんとに行かせてくれてありがとうって素直に思うくらい私にとってはいい経験でめちゃくちゃ楽しかったです。自分の見ている世界がいかに狭いか実感しましたね。

シンガポールから帰る時、シンガポールの学生達とお別れする時にはもう号泣でした。

これもあとで別の記事にまとめようかな

 

日本に帰ってきてからは受験期だっていうのに志望校も特になく高校見学にも行かず。

その時に⒈2年の時に担任だった先生と少し話したことがあって、そのおかげで進路を決めることとなりました。これはまたいつかこの先生の話とまとめて書きたいと思います。

そんなこんなであっという間に卒業式で、あんなに仲が悪くて学級崩壊寸前だったのにみんなで卒アルの最後のページにメッセージなんか書いたりしっちゃって。笑

卒業式ではママが私の出番より前から号泣してるし。卒業式の後はみんなでボーリング行って、もっと前からこうやって仲良くできたら楽しかったのにって思いましたが今となればいい思い出ですね。

 

いろんなこと思い出してグッチャグチャの文章になってしまいましたがひとまずここで終わろうかなと思います。

 

ではまた

第一話 小学校時代

どうもこんにちは

ニートレズビアンこと憂です。

 

ニートになってから時間の余裕しかないもので暇つぶしがてら人生を振り返ってみようかなと。

この記事は日常とは全く関係のない過去のことなのでもうやばいくらい暇な時に読んでいただけたら嬉しいです。

 

とは言っても正直小学校時代のことなんてそんなに書くことあるかなと不安になってきました。

 

とりあえず思いつくままに書いていってみます。

 

・一年生 初めて(多分)のバレンタインデーと転校

・二年生 転校先でのちょっと嫌な思い出

・三年生 プチ反抗期到来 さよなら学童

・四年生 反抗期全開 でも楽しかった

・五年生 運命の出会い 反抗期終了

・六年生 人生で一番まともだった時期と東日本大震災

 

こんな感じの内容になっております。

 

ではでは

小学1年生

ドキドキワクワクですよね、ランドセル背負って学校って場所に初めて行って。どんな気持ちだったかは思い出せませんがきっと楽しんでいたのではないかと思います。笑

新しい人に沢山出会って、そういえば担任の先生がすごく好きでした。

 

小学校に慣れはじめた頃には保育園から一緒の友達と登校前に学校の手前の公園で遊んだりして時々遅刻していたような。

小学校の登校時間てそもそも早いのにそれより前の時間から公園で遊んでるって意味わかんないくらい元気だと思いませんか?

ニートの今考えたら信じられないです。朝は爆睡しています。起きているとしたらゲームやりすぎてるかお酒飲んでるかの二択ですね間違いなく。笑

 

あとは何してたかなー。あ、そうだめちゃくちゃくだらないけどすごい思っていることがあって。頭ぶつけてたんこぶできると保健室で袋に氷水が入ったやつもらえたんですけど朝公園で一緒に遊んでいた友達とそれをもらうのにハマって無駄に頭をぶつけてたことがありましたね、柱とかに。

そのせいで今こんなに頭が悪くなっちゃったのかな・・笑

 

書いてみると色々思い出すもんですね、冬に結構な雪が降ってパパとかまくら作ったりなんかもしました。パパと雪遊びなんてしたの多分これが最後な気がします。

あとバレンタインデーに男の子にチョコ渡したりもしました。普通の女の子みたいに。笑

昔から面食いなのでただ顔が好きっていう理由だけで渡してました。すごく仲が良くて二人で一緒に遊んだりもしてましたね。

ちなみにこの男の子、高校に入って再会しました。笑

 

なんで再会かって言うと一年生が終わる頃に引越しをしたんです。だから高校で再会したときはびっくりしました。

転校する時に先生がくれた一年間の写真をまとめてラミネートしてくれたやつとクラスのみんながくれた手紙を今でも撮ってあるんですけど流石に小学一年生の字、解読不能なものもあります。あれを読める学校の先生ってすごいですね。

 

と言うことで転校先で迎えた小学二年生。

ここに関してはほんとにあんまり思い出がないような・・と言うか転校先で友達があんまりいなかったのとちょっと嫌がらせを受けていたのであんまり学校に行ってないんですよね、ほぼ毎日遅刻してました。男女比が2:1くらいで女子が少なかったので女子のグループと言うか派閥というか、そんなのがめんどくさかった覚えがあります。

同じ時期に転校してきた近所の男の子と仲が良くてほぼその子と一緒に過ごしてました。なんだかんだその子とは小中高一緒だったので今でも仲がいいです。家も徒歩10秒くらいのところで近いですし。笑

そんな感じで三年生になって。クラス替えとかあったのかなー、これまた特に思い出がないですね。でも女友達もいたような気がします。相変わらず近所の男の子と仲が良かったので付き合ってんだろーとか散々言われてだるかった覚えが・・

あーそういえば昔から集団行動が苦手で三年生になってから学童を辞めました。もうそれはそれはママともめて。「学童やめるならお弁当作んないから😠」って言われて『いいもん別に😠』とまあこんな感じで昼ごはんがなくなりました。笑

近所の男の子も学童に行ってなかったので毎日一緒に遊んでました。秘密基地つくったり、大人ぶってタバコ吸ってみて怒られたり。笑

そしてこの頃に買い食いを覚えて一年で体が倍くらいにでかくなりました。近所にコロッケ屋さんがあったんで揚げ物パラダイスしてたんですよね、なんか無駄に安かったし。

過去の自分にやめろと言ってぶん殴りたいくらいです。

三年生はこんな感じかなー、四年生はプチ反抗期で学校に行かない日がめちゃめちゃ増えてたのでぜーんぜん思い出がないですね、担任のあだ名が「カバ」だったことくらい。付けたの私なんですけどね。笑

あとすごく仲のいい女友達ができてお泊まりとかして楽しかったなー。四年生から自転車登校だったので自転車に乗って色々行った覚えがあります。

それとクラブ活動みたいのもあったのかな、理科クラブっていうのに入ってスライム作ったりしてました。

 

五年生、ここは結構人生の転機というか。

鬼婆みたいな先生が担任になったんですよ。とってもいい先生なんですけどね。笑

もうめちゃくちゃ怖くて。学校もサボらずいくようになったし宿題も全く出してないタイプの人間だったのに毎日出すようになりました。

実行委員とかそういうのもやるように(やらされた)なってプチ反抗期無事終了。笑

本当に怖い先生でしたけどすごくきちんと向き合ってくださるいい先生でした。

そのままその先生が担任のまま六年生になって委員会の委員長とかクラブの部長とか、運動会の選手宣誓なんかもやりましたね。マジ更生。笑笑

ママはあの時あの担任の先生になってくれて良かったと今でも言ってます。

確かにあの先生に出会わなければもっとやばい人間になっていたんじゃないかと思います。

 

そして卒業、の前にあれですよ。

東日本大震災

あれはびっくりしましたね、卒業前で学校の掃除をしようっていうんで窓拭いてたらいきなり窓がすごいガタガタしはじめて、外の窓だったんで強風かな?と思って椅子から降りた瞬間に地面がガクンって。

そっからはもう全校生徒が校庭にバーって出てきてプチパニックでした。

あの時のことは今でも割と鮮明に思い出せます、それだけ衝撃だったってことですかね。

体育館が使えなくなったので音楽室で卒業証書授与だけやったのを覚えてます。狭いので保護者は音楽室の窓の外で寒空の下見守ってくれてました。

そのあとみんなで外に出て歌を歌って写真を撮って。懐かしいですね。

 

そんな感じの小学校時代でした。思い返して文字に起こしてみるとなかなか面白いですね、忘れてたことも思い出せましたし。笑

 

ではまた