働きたくないあなたにおくる ニートレズビアンの生態記録

なぜニートなのに普通に生きていけるのか。そしてニートレズビアンの人生とは

第一話 小学校時代

どうもこんにちは

ニートレズビアンこと憂です。

 

ニートになってから時間の余裕しかないもので暇つぶしがてら人生を振り返ってみようかなと。

この記事は日常とは全く関係のない過去のことなのでもうやばいくらい暇な時に読んでいただけたら嬉しいです。

 

とは言っても正直小学校時代のことなんてそんなに書くことあるかなと不安になってきました。

 

とりあえず思いつくままに書いていってみます。

 

・一年生 初めて(多分)のバレンタインデーと転校

・二年生 転校先でのちょっと嫌な思い出

・三年生 プチ反抗期到来 さよなら学童

・四年生 反抗期全開 でも楽しかった

・五年生 運命の出会い 反抗期終了

・六年生 人生で一番まともだった時期と東日本大震災

 

こんな感じの内容になっております。

 

ではでは

小学1年生

ドキドキワクワクですよね、ランドセル背負って学校って場所に初めて行って。どんな気持ちだったかは思い出せませんがきっと楽しんでいたのではないかと思います。笑

新しい人に沢山出会って、そういえば担任の先生がすごく好きでした。

 

小学校に慣れはじめた頃には保育園から一緒の友達と登校前に学校の手前の公園で遊んだりして時々遅刻していたような。

小学校の登校時間てそもそも早いのにそれより前の時間から公園で遊んでるって意味わかんないくらい元気だと思いませんか?

ニートの今考えたら信じられないです。朝は爆睡しています。起きているとしたらゲームやりすぎてるかお酒飲んでるかの二択ですね間違いなく。笑

 

あとは何してたかなー。あ、そうだめちゃくちゃくだらないけどすごい思っていることがあって。頭ぶつけてたんこぶできると保健室で袋に氷水が入ったやつもらえたんですけど朝公園で一緒に遊んでいた友達とそれをもらうのにハマって無駄に頭をぶつけてたことがありましたね、柱とかに。

そのせいで今こんなに頭が悪くなっちゃったのかな・・笑

 

書いてみると色々思い出すもんですね、冬に結構な雪が降ってパパとかまくら作ったりなんかもしました。パパと雪遊びなんてしたの多分これが最後な気がします。

あとバレンタインデーに男の子にチョコ渡したりもしました。普通の女の子みたいに。笑

昔から面食いなのでただ顔が好きっていう理由だけで渡してました。すごく仲が良くて二人で一緒に遊んだりもしてましたね。

ちなみにこの男の子、高校に入って再会しました。笑

 

なんで再会かって言うと一年生が終わる頃に引越しをしたんです。だから高校で再会したときはびっくりしました。

転校する時に先生がくれた一年間の写真をまとめてラミネートしてくれたやつとクラスのみんながくれた手紙を今でも撮ってあるんですけど流石に小学一年生の字、解読不能なものもあります。あれを読める学校の先生ってすごいですね。

 

と言うことで転校先で迎えた小学二年生。

ここに関してはほんとにあんまり思い出がないような・・と言うか転校先で友達があんまりいなかったのとちょっと嫌がらせを受けていたのであんまり学校に行ってないんですよね、ほぼ毎日遅刻してました。男女比が2:1くらいで女子が少なかったので女子のグループと言うか派閥というか、そんなのがめんどくさかった覚えがあります。

同じ時期に転校してきた近所の男の子と仲が良くてほぼその子と一緒に過ごしてました。なんだかんだその子とは小中高一緒だったので今でも仲がいいです。家も徒歩10秒くらいのところで近いですし。笑

そんな感じで三年生になって。クラス替えとかあったのかなー、これまた特に思い出がないですね。でも女友達もいたような気がします。相変わらず近所の男の子と仲が良かったので付き合ってんだろーとか散々言われてだるかった覚えが・・

あーそういえば昔から集団行動が苦手で三年生になってから学童を辞めました。もうそれはそれはママともめて。「学童やめるならお弁当作んないから😠」って言われて『いいもん別に😠』とまあこんな感じで昼ごはんがなくなりました。笑

近所の男の子も学童に行ってなかったので毎日一緒に遊んでました。秘密基地つくったり、大人ぶってタバコ吸ってみて怒られたり。笑

そしてこの頃に買い食いを覚えて一年で体が倍くらいにでかくなりました。近所にコロッケ屋さんがあったんで揚げ物パラダイスしてたんですよね、なんか無駄に安かったし。

過去の自分にやめろと言ってぶん殴りたいくらいです。

三年生はこんな感じかなー、四年生はプチ反抗期で学校に行かない日がめちゃめちゃ増えてたのでぜーんぜん思い出がないですね、担任のあだ名が「カバ」だったことくらい。付けたの私なんですけどね。笑

あとすごく仲のいい女友達ができてお泊まりとかして楽しかったなー。四年生から自転車登校だったので自転車に乗って色々行った覚えがあります。

それとクラブ活動みたいのもあったのかな、理科クラブっていうのに入ってスライム作ったりしてました。

 

五年生、ここは結構人生の転機というか。

鬼婆みたいな先生が担任になったんですよ。とってもいい先生なんですけどね。笑

もうめちゃくちゃ怖くて。学校もサボらずいくようになったし宿題も全く出してないタイプの人間だったのに毎日出すようになりました。

実行委員とかそういうのもやるように(やらされた)なってプチ反抗期無事終了。笑

本当に怖い先生でしたけどすごくきちんと向き合ってくださるいい先生でした。

そのままその先生が担任のまま六年生になって委員会の委員長とかクラブの部長とか、運動会の選手宣誓なんかもやりましたね。マジ更生。笑笑

ママはあの時あの担任の先生になってくれて良かったと今でも言ってます。

確かにあの先生に出会わなければもっとやばい人間になっていたんじゃないかと思います。

 

そして卒業、の前にあれですよ。

東日本大震災

あれはびっくりしましたね、卒業前で学校の掃除をしようっていうんで窓拭いてたらいきなり窓がすごいガタガタしはじめて、外の窓だったんで強風かな?と思って椅子から降りた瞬間に地面がガクンって。

そっからはもう全校生徒が校庭にバーって出てきてプチパニックでした。

あの時のことは今でも割と鮮明に思い出せます、それだけ衝撃だったってことですかね。

体育館が使えなくなったので音楽室で卒業証書授与だけやったのを覚えてます。狭いので保護者は音楽室の窓の外で寒空の下見守ってくれてました。

そのあとみんなで外に出て歌を歌って写真を撮って。懐かしいですね。

 

そんな感じの小学校時代でした。思い返して文字に起こしてみるとなかなか面白いですね、忘れてたことも思い出せましたし。笑

 

ではまた